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ガベージタイム⦅2⦆渡邊雄太

初心と謙虚

実はそのおかげで、大学進学のためにアメリカに来てからも、随分と助けられたことがある。 僕は高校を卒業後、全然英語を喋れないまま海を渡った。 渡米前には 「英語すら喋れないのに……」 「アメリカでプレーするなんて、いまさらもう遅い」 など否定的な言葉を投げかける人も多かったが、小学生のときに決めた夢、色摩先生の言葉を借りると“初心”である「NBAでプレーする」という決意と覚悟だけは絶対に揺らぐことはなかった。 実際にアメリカに来てもう8年、すでに人生の3分の1近くをこちらで過ごしているが、本当に多くの人の支えがあってやってこれたのだと感じている。 大学に入る前の準備校(=セント・トーマス・モア・スクール)のバスケチームでは仲間たちが喋れない僕の英語に親身に根気強く付き合ってくれたし、ジョージ・ワシントン大学に入ってからも卒業するための厳しい勉強面でもサポートしてくれた人たちがたくさんいた。 その間、僕はひたすら“謙虚”であり続けようとした。 それはNBAに入っても何ら変わることはない。 その思いを継続しているから、レベルの高いところで認められるには上手な人以上にもっともっと練習するしかないと心の底から思えるのだ。 「謙虚」という言葉の日本とアメリカの意味の違いで、忘れられないエピソードがある。 昔から僕のファンでもあり、誰よりも僕を理解しずっと応援してくれている大切な両親との出来事だ。  いまでもハッキリと当時のことが記憶に残っているが、それは大学4年生のとき。ちょうどシーズンが終わって、本格的にNBA入りを目指す大事な時期だった。 正直、ドラフトはされないだろうと思っていたので、サマーリーグで活躍しないとNBA選手にはなれないという状況にあった。  地元・香川に住む両親と連絡を普段から取り合う中で、ある日こんなLINEが届いたのだ。  “知り合いの◯◯さんに会ったんやけど、「雄太くんはNBA選手になれるんでしょ?」って聞いてきた。だから冗談めかして「ウチの息子はまだまだですよ」って言っといたよ”  そのメッセージを見たとき、僕は本当にショックを受けた。  ドラフトは難しいとわかっていても、誰よりも自分が努力をしている自覚が僕にはあった。 不安で孤独で、それでも自分を奮い立たせようとしていた時期。 ほんのひと言でもいい、背中を押してほしい、そう無意識に思っていたのかもしれない。 そんな最中に、両親から送られてきたのが、このメッセージだったのだ。  両親からすると、息子のことを控えめに、それこそ“謙虚”に答えただけ。 その気持ちは重々理解できたし、聞き流すこともできなくはなかった。でもそのときの僕にとって「ウチの息子はまだまだ」というのは、ネガティブな響きにしか聞こえないし、どうしても我慢できなかった。 実際アメリカに来てから、親子の在り方についてこれまでと違った感覚を持つようにもなっていた。 こちらでは、親が子どものことをしっかりと褒める。 チームメートの親が僕に向かって「うちの子、すごいでしょ」って言ってくるのを、素直に羨ましいと感じることもあった。  そこで、悩んだ僕は高校時代のチームメイト、楠元龍水にメッセージを送って相談することにした。 彼は現在、延岡学園バスケ部のコーチで、いまでも精神面でもプレー面でもアドバイスをくれる唯一無二の大親友だ。  “両親の言葉が気になるんだ。もちろん父さんも母さんも僕のことを応援してくれているのはわかっているから、わざわざ言う必要もないのかもしれないけど……正直、気になるんだ”  楠元の答えは、極めてシンプルだった。  “お前が気になっているなら言うべきだろ。大丈夫、わかってくれるさ”  その言葉に押されるように、僕は両親に素直な胸の内をメッセージでこう伝えた。  “いまNBAの選手になれるかなれないかの瀬戸際の時期に、マイナスの言葉を僕に伝えるのはやめてほしい。いちばん僕のことを理解してくれているのは父さんと母さんだし、バスケを始めたときから、僕がNBAでプレーするためにサポートしてきたのは2人なんだから、NBAでプレーするまで僕の背中を押し続けてほしい”  すると、すぐに両親から電話がかかってきた。遠い故郷からの第一声はこうだった。 「本当に申し訳ないことをした……」。 そんな言葉に、僕も本当に胸が痛くなったのを覚えている。 でも言葉のチカラは少なからずあると思っている。 僕が努力を怠っていて、実力もないのにNBAでプレーしたいと言っていたら、「ウチの息子はまだまだ」と言われても甘んじて受け入れる。 でも努力していることを両親もわかってくれていて、僕自身もNBAでプレーするだけの準備はできていると思っていたから、マイナスよりもプラスの言葉を吸収することで力にしたいと思った。 だから、両親に対してもあえてそこは言わせてもらったのだ。 「いい顔でバスケットをしてください」 このひと言に、心が解放された。“バスケを楽しむ”ということを再び思い出すことができたんだ – 渡邊雄太  そういえば、大学時代に忘れられない思い出がもう1つある。 これもまさしく、言葉のチカラだ。  僕は1年生のときに幸いにもチームで活躍できていた。 ところが、2年生になると急激にスランプに陥ってしまった。 こんなはずじゃない、どうしてなんだ、というプレッシャーにもがき苦しんでいた。 出口の見えないトンネルの中にいるような感じだった。 すると、タイミングを見計らったように日本にいる色摩先生からメールが届いたのだ。そこに書いてあった言葉は、ただひとつ。 「いい顔でバスケットをしてください」  このひと言に、心が解放された。 僕が忘れかけていた“バスケを楽しむ”ということを再び思い出すことができたのだ。 これは紛れもなく、先生が高校時代に部員たちに言い続けていた言葉だった。 そのメールをいただいた直後の試合で、スランプが嘘だったかのように僕は当時のキャリアハイの活躍。 改めてポジティブな意味での、言葉のチカラを強く感じることができた出来事となった。  2018年、目標だったNBAという世界にやっと一歩踏み出すことができた。 1年目のメンフィス・グリズリーズでは「NBAってこんなにすごいんだ」と、とにかく肌で感じることができたが出番は少なかった。 2年目も1年目と同じような感じで、基本的に下部組織のGリーグで過ごすことが多かった。 NBAに呼ばれても、ケガ人が出たときにそのリハビリに付き合うための練習相手であったり、正直苦しい時期だった。